他者を介入させない幸せ

先日『マツコ会議』(ちゃんみなさん出演回)で「幸せ」について語っていたマツコさんの言葉が印象的だったのでメモ。

※記憶ベースだし自分の解釈をもとに意訳している部分もあるので、本来のマツコさんの発言とは異なる部分もあるかも。

・インスタで幸せそうな投稿をして、いいねをもらって……というのを見て否定的な気持ちにはなるけれど、「まぁそれを見せるしかないもんね」とも思う。

・結婚している/していないなど、ほんとうはどちらがどうということはないけれど、どちらかの状態が「幸せ」とされることがあるのは、ある/ないがはっきりとわかりやすい=皆が共通認識できるものだから。

・他者を介入させない幸せを求めている。生きている限り誰かしらと関わらざるを得ない、それはそうなんだけど、それとは別の話で、他者は関係なく自分が幸せと思えるもの。

これを受けてちゃんみなさんが「曲作りの時、音楽の波形(音に合わせて波うつ心電図みたいなやつ)をぼーっと見ていると、なんとも言えない幸福感が湧いてくる」と。

「他者を介入させない幸せ」というワードだけだとわかりにくいけど、多分人にいいねと言ってもらえるとか、評価されるとか、そういうことは関係なく、単純に自分が心地よくて幸せを感じる瞬間、みたいな意味合いだと私は理解している。

毛布のなめらかな手触りが気持ちいいなとか、水が入ったガラスのコップが日の光に透けるようすが綺麗だなとか、口に出したら子どもみたいだと笑われそうな些細なことでも、それがあることで幸せを感じるなら、その人は幸せな人なんだろうな、と。

先日、九谷焼の絵付け体験をしたときに久しぶりに絵を描いたら、すごく楽しかったし癒された。
何年か前、iPadを買ったときにイラストにはまっていろいろ描いていたけど、最近は全然描いていなかった。気掛かりな仕事を抱えていた時だったのもあってか、無心で絵を描くことで心がみずみずしく満ちていくような感覚になった。あの瞬間のあの感覚は、私にとってすごく「幸せ」だった。仕事につながるとか、人から評価されるとか関係ない、純粋に楽しめる幸せなことを、もっと重ねて生きていきたい。