雨と頭痛の相関

ここのところ、毎日頭が痛い。
この場合の「頭が痛い」は、「頭が痛くなるような出来事に直面している」という比喩ではなく、文字通りの意味だ。つまり、単なる頭痛。

私は頭痛持ちで、多くの場合、目の疲れが原因であることが多い。長時間スマホやPCを見たり本を読んだりすると、頭が痛くなる。目の上のほうが重くなり、頭がこわばる感覚とセットだ。でもここ数日の頭痛は少し感覚が違う。雨の日によく来るやつ。実際、今週はずっと雨が降っている。

雨による頭痛は気圧の変化が原因、というのが一般論。でも、雨の日に頭が痛くて気圧アプリを見てみても、気圧には問題がない、ということがよくある。じゃあどうして、雨の日にいつも頭が痛くなるんだろうか? ググれば答えらしきものが出てくるのかもしれないけど、「別に、わからなくてもいいかな」とも思う。

「体調不良には明確な原因があり、それを取り除けば治る」と昔は思っていた。でも、人の体はとても繊細なバランスで組み合わさって出来ていて、心の状態と体とは自分が思う以上に強い相関があり、「原因」は複数の要素が組み合わさっていることも多い。そんな中で、「明確な原因」を見つけるのは至難の技だ。答えらしきものを見つけて予防しても、結局「あれ、また調子悪いな」なんてこともザラにある。原因がわからないことがストレスになり、余計状態が悪くなる、なんてことも。

だから、ある時から考えるのをやめた。「原因はわからないけど、なんか具合悪くなることってあるよね」でいいかな、と。

基本的に私は理屈っぽい人間なので、筋道立っていないと気になってしまうのだけど、「まぁ理解できないこともあるよね」「何でかわからないけど、いつもこうなるね」 ということってめちゃくちゃたくさんある。それは頭痛に限らず、世の中のすべてにおいて。

そういう時は、余計な感情は入れず、目の前の事実に集中する。「事実」は唯一、明確なものだから。揺るがないものだけを見て、対処していく。

もちろん、原因がわかれば予防できるからそれに越したことはないけれど、考えまくって調べまくっても、どうしてもわからないこともあるのだ。理屈では説明できないこと。むしろ、すべてを理屈で説明できるし、しかるべき手段を取って調べて考えれば理解できるだろうと考えていた自分は、傲慢だったのかもしれない、とも思う。

どんよりと曇り、雨がパタパタと窓を打つ日には、痛む頭を労るようにゆっくりと動き、首の後ろのツボを押したり温かいものを飲んだりする。どうしても辛い時は、鎮痛済を飲む。対処療法でもいいじゃないか、別に。目の前にある辛さを取り除くことがまずは大事。

諦めと許容は、はたから見るとよく似ていて、自分でもどちらなのかわからなくなることもあるけど、自分が心地いいならどっちでもいいのかもしれない。

Eri Nakamura
浅草出身・東京在住のフリーライター。趣味はイラスト、純喫茶めぐり。レトロスポットを紹介するおさんぽWebマガジン「てくてくレトロ」運営。