オール明けの朝マックで食べるハッシュポテト 【文脈メシ妄想選手権・小説】

本記事は、noteユーザーにて開催された非公式コンテスト「文脈メシ妄想選手権」の応募作です。
受賞は逃しましたが、応募作132作から審査員・池松さんが選ぶ「28選」の中に選んでいただきました。

本編

「あれっ?」
 午前5時。土曜日の早朝のマクドナルドでハッシュポテトをかじった私は、小さな声で、思わずそう呟いた。

 仕事終わりに友達と三茶で飲んで、終電を逃した金曜日の夜。タクシーで帰宅した友達を見送ったあと、まだ帰りたくないなぁと思いながらスマホを眺めていたら、前に飲み会で知り合った男の子が近くで飲んでいる様子をSNSにアップしていた。そういえば、この辺りに住んでいるって前に言ってたっけ。LINEを送ると、「いま家にいるよ。来る?」と連絡が来たので、迎えに来てもらった。そして、その子の家に泊まったのだった。
 明け方、まだ横で眠っている彼の脇から、そろりと抜け出し、家を出た。そして、ぼんやりした頭で駅に向かう途中でマックを見つけ、朝マックのハッシュポテトをかじったのが、今だ。

 手元のハッシュポテトに視線を落とす。数年ぶりに食べたハッシュポテトは揚げたてサクサクで、塩気もちょうど良い。それなりにおいしいのだけど、記憶の中の味とは少し違う気がした。
 少し離れた席から、男女の笑い声が聞こえた。身を乗り出して見てみると、大学生らしき男女が5〜6人で、朝マックを食べている。女の子がハッシュポテトをかじりながら、隣の席の男の子に何やら話かけている。楽しそうなその子の様子が昔の自分の姿に重なり、懐かしい記憶が蘇ってきた。

・・・

「サトミって、何だかんだで毎回ファイナリストまで残るよな」
 飲み会後にオールをして最後まで残るメンバーのことを、私たちは「ファイナリスト」と呼んでいた。早朝のマックでそう言われた時、それは先輩がいるからですよ、なんてさらっと言えたらいいのにと思いながら、「カラオケ好きなんです」と、適当に答えた。
 月一のゼミの集まりのあとは毎回、大学の近くの安い居酒屋で閉店まで飲んで、その後カラオケでオールするのが、私たちのお決まりだった。カラオケに移動した直後はみんなテンションが高いけど、3時あたりで中だるみして、眠気に勝てずソファーで横になる人や、途中で帰る人も出てくる。仮眠を取って元気になったところでまたテンションを盛り返し、最後にはソファーに総立ちで大合唱して終了。その頃にはもう始発が走り始めているので、カラオケを出てそのまま帰路につく人もいるけど、朝マックを食べに行くメンバーがいつも4〜5人くらいいる。そこまで残った人々が「ファイナリスト」だ。だいたい同じメンバーで、その中に私と先輩もいた。
 みんなの前で積極的に話しかけに行くのは気が引けたので、居酒屋やカラオケでは先輩とあまり話すことはできなかった。朝マックを食べながら先輩とゆっくり会話を交わせるのが嬉しくて、このためにオールしているようなものだった。

 朝マックで頼むメニューは、だいたいみんないつも同じだった。先輩はエッグマフィンとコーラ、私はハッシュポテトとコーヒー。そして、プチパンケーキを2つ頼んで、全員で分けて食べる。
 眠そうに目をこすりながらあくびをする先輩を横目でこっそりと見つつ、コーヒーを飲んだ。さっきカラオケのソファーで横になっていたせいか、先輩の後頭部には寝癖がついていて、柔らかそうな髪がぴょこんと飛び出している。寝癖ついてますよ、なんて言いながらさりげなく手櫛を通して、あの柔らかそうな髪を指の間で堪能したいものだ、と妄想を膨らませた。
 ストローをくわえ、コーラを飲む先輩の口元が、モグモグと動いている。それも横目でこっそり見つめる。先輩はストローを噛む癖がある。オール明けの朝は、半分寝ながらドリンクを飲んでいることも多い。今日もコーラを飲み始めてしばらくすると、目をつむったまま、モグモグとストローを噛み始めた。まるで寝ながらごはんを食べる赤ちゃんのようだ。かわいいなぁと思いながら、じっとその姿を見つめていたが、先輩が目を開けた瞬間に慌てて目をそらした。

 先輩には彼女がいた。仮にいなかったとしても、先輩は私のことを何とも思っていないことはわかっていたから、この思いをどうこうするつもりはなかった。ただ同じ時間を過ごせるだけで、嬉しかった。普段は淡々としている先輩が、深夜のカラオケでブルーハーツが流れると急にスイッチが入り大熱唱することとか、早朝のマックで寝ぼけながらストローを噛むこととか、普段と違う一面を見られるのが、嬉しかった。もしかしたら、彼女はこの姿を見たことがないんじゃないか? と、見知らぬ先輩の彼女に対してちょっとした優越感を抱くこともあった。冷静に考えれば、彼女のほうがよっぽど、私が見たことのない先輩の姿をたくさん見ているはずだから、優越感を抱ける要素なんてひとつもないのだけど。

「いつもそれ食べてるよね。旨いの?」
 私が食べているハッシュポテトを見ながら、先輩が聞いてきた。
「おいしいですよ。食べたことないんですか?」
「うん。ひとくちちょーだい」
 ハッシュポテトをかじり、満足げに「旨い」とうなずく。その日以降、先輩の朝マックの定番にハッシュポテトが加わった。そこに深い意味がないことはわかっていたけれど、寝ぼけ眼でハッシュポテトを食べる先輩の姿を見るたび、心の奥がむず痒くなるような嬉しさを感じた。

 そのまま何事もなく時は過ぎ、先輩は卒業した。卒業生が参加するゼミの飲み会は何度か開催されたけれど、先輩が来ることはなかった。その後、同じゼミの男の子と付き合うことになり、次第に先輩のことは思い出さなくなっていった。

・・・

 朝マックを食べたのは、学生の時ぶりだった。久しぶりに食べたハッシュポテトは、おいしくない訳ではないのだけど、何というか、少し味気ない。

 食べかけのハッシュポテトをトレイに置き、コーヒーをすする。急に、顔についたファンデーションが、べったりと重く感じられた。昨夜の男の子はすっぴんを見せられるほど気心知れた仲ではなかったので、化粧は落とさずそのままだった。ふくらはぎに目を落とすと、ストッキングが伝線していた。

 虚しさが、じんわりと胸に広がる。「ただ同じ時を過ごせるだけで嬉しい」と思える恋愛なんて、ずいぶん長いことしていない。
 そもそも昔から、恋愛に限らず、他人と深い関係を築くことが苦手だった。自分は他人に好意を持ってもらえるような人間ではない、という思いがどこかにあったからだ。剥き出しの自分に自信がないから、うわべを取り繕うようになった。表面上うまく立ち回ることだけは得意になったけれど、その姿を見て私のことを好きになるような人は嫌いだった。私のことを好きにならない人のことをいつも好きになったし、万が一その人が自分に少しでも好意を見せてきたら、本当の私を知らないくせに、と白けた気持ちになっていた。

「本当にそう思ってる?」
 大学生の時、飲みの席で何人かで会話している時に先輩にそう聞かれて、ドキっとしたことがあった。細かい話の内容は覚えていないけど、その時も私は表面上だけ調子のいいことを言って、話を合わせていたから。先輩はまっすぐな人で、うわべを取り繕うような人のことは好きではなかった。この人は、何があっても私のことを好きにならない。だから、安心して好きになることができた。

  “本当の私を知らないくせに”って、自分が本心を見せていないのだから当たり前だ。相手は何も悪くない。伝えることを怠っているのは自分なのに、私のことをわかってくれない……なんて、どうかしている。

 いつまでこんなことを続けるんだろう。

 ハッシュポテトを再びかじる。すっかり冷めたそれは、口の中でしんなりと広がり、ほどけて、消えていく。油の匂いだけが口の中に残った。胃の中から昨夜しこたま呑んだ日本酒の匂いが上がってきて、油の匂いと混ざって気持ち悪い。

 急に全部が嫌になり、思わず「あーあ、もうやめた!」と大きな声で独り言を言った。ぎょっとした顔で隣の席の人がこちらを見てきたが無視して、残ったコーヒーを勢いよく飲み干し、マックを出た。

 コンビニでメイク落としシートを買い、トイレでメイクを落とす。伝線したストッキングを脱ぎ、ゴミ箱に放り込んだら、少し呼吸がしやすくなったような気がした。
 白んだ空がまぶしい。すっぴんの頬を、風がさらさらとなでていく。駅に向かい、帰路につく。早朝の田園都市線はガラガラだったが、座ったら寝過ごしてしまいそうだったので、立ったままドアの脇の角にもたれかかった。

 多摩川を過ぎたあたりで、『ピアス落ちてたけど、これサトミちゃんの?』と、写真つきのLINEが送られてきた。耳を触ると、片方のピアスがない。でももう、いらないや。そう思い、『いや、私のじゃないよ?』と返した。『そっか、了解。暇な時にでもまた飲みいこ』と送られて来たけれど、返事は返さなかった。

 いつかまた、あの時みたいなハッシュポテトを味わえる日は来るんだろうか。窓の外を眺めながら、ぼんやりと考える。

 午前7時。もうすぐ家の最寄り駅に着く。体感としては、まだ金曜日だ。家に着いたらシャワーを浴びて、水をたっぷり飲んで、ひと眠りしよう。昼くらいまで寝て起きたら、新しい土曜日を始めよう。青空にゆったりと流れる雲を見つめながら、深呼吸をした。

<終>

あとがき

こちらの企画に参加してみました。文脈メシ、めちゃくちゃいいな。妄想大爆発。次点として「風邪の時に父親が買ってきてくれたプリン」「サークルの合宿に向かう途中、サービスエリアで食べる牛串」も思いつきましたが、ハッシュポテトを選びました。学生時代にオール明けで食べた朝マックはおいしかった記憶があるけど、今同じことをしてもおいしく感じないんだろうな。同じものを食べても同じ味を味わえるとは限らない、それが文脈メシ。深い。