若い女という魔法がとけたら人間になれた

若い女という魔法がとけたら人間になれた

「モテるでしょ?」

と聞かれた時の正しい反応とは?

それはさておき、「モテるでしょ」と「モテたでしょ」は、たった一文字だけど、えらい違いだ。

「モテたでしょ」と聞かれたとしたらそこには、「(若い頃は)モテたでしょ」という、声なき声が存在する。

つまり、もう若くないと見なされている、ということだ。

現在、32歳。今年の末には、33歳になる。

一説によると、「アラサー」は30歳の+−3歳を指す言葉だそうだ。

アラサーとは便利な言葉で、とうに30を過ぎていたとしても、「アラサー」を自称することで、まだ20代なのかも、という含みを持たせることもできる。

来年には、34歳。アラサーですらなくなる。

以前、とある映画監督と女優さんの対談をテレビで見たときに、監督が

「女優さんは若いだけで十分魅力的なんだ。
でもね、若さを売り物にしてはいけない。演技者の魅力は別のものだから」

と言っていた。

話の流れは忘れてしまったが、そのあと女優さんが

「若さの魔法がとける瞬間がやってくる」

とも言っていた。

その女優さんは、私と同い年。

10代でデビューして、今もなおドラマや映画で活躍している。

若さに高い価値をつけられる世界にいる彼女はおそらく、一般の女性よりも若さを失う実感を強く感じていたのではないか、と思う。

若さは、それだけで無条件に価値のあるものだ。

なぜなら、取り戻すことができないものだから。
見た目の若々しさは、お金を掛ければ手に入るかもしれない。でも、本当の意味での若さは、どうやっても取り戻すことはできない。

「若いから」というだけで、優遇されることも多いだろう。とくに女の場合は。

若い女が得すること、と言うと「男性に食事をおごってもらえるとか?」というのが真っ先に浮かぶが、仕事の面でも得はある。

会社のお偉いさんに名前を覚えてもらえたり、失敗を大目に見てもらえたり、逆に仕事ができると「若いのにしっかりしている」などと過剰に評価をしてもらえたり。

仕事でも日常でも、「若い女枠」というのは色々な場所にあって、その枠に座ることができる内は、身の程以上の経験ができる。

若さという、何の努力もなしに備わっているもののおかげで、いい思いができるなんて。

若さとは魔法である、という表現は、なんともしっくりくる。

でも、人は誰しも老いる。

魔法は、いつか必ずとけるのだ。

「若さにひもづいて評価されているものを、自分の実力と思ってはいけない」

という感覚は、ずっとあった。

「若い女枠」は、特定の個人の固定席にはなり得ない。

20代、まだ会社員のころは、仕事の飲み会で「役員の方が来るから、隣は若い子がいいだろう」ということで、若い女枠で私があてがわれることもあった。

ホステス役を務めるつもりはなかったから、少し離れた席に座っていた「元・若い女」であるお姉様の”あなたお酒くらいつくりなさいよ”という目線には気づかないふりをして、マイペースに飲んでいたけど。

でも、こんなサービス精神が乏しく可愛げのない「若い女」であっても、それなりに会話をしただけでも名前と顔を覚えてもらえ、会社でも気軽に話しかけてもらえるようになったりもする。

そういう意味では、若い女枠は得だな、と思ったことはあった。

だが、その席は入れ替わり制なのだ。

私もそのうち、「元・若い女」になるのは確実。

だって、人は必ず老いるから。

席を立つ準備をしておかないと、という気持ちは常にあった。

32歳は、20代からしたら「おばさん」だ。

おばさんという自覚はないが、20代の頃は30代をおばさんだと思っていたから、若い頃の自分の感覚は、おそらくいまの若い子が思うことと同じだと思う。

でも、40代からしたら「若者」なのだ。

30歳になったときに、「30歳なんてまだまだよ!」と、40代の女性に言われたことがあるが、私が40歳になったとき、その人は50歳。

きっと、「40歳なんてまだ小娘の域よ」と言われるのだろう。

「だから、私はおばさんじゃない!」などと言いたいわけではなくて、別におばさんでもいいかな、と思っている。

年齢って相対的なもので、そのとき周りにいる人が自分より若ければ「おばさん」だし、年上の方が多ければ「若者」なのだ。

90歳くらいになったら「あぁ、歳とったなぁ」と悲観してもいいかもしれないけど、今のところ、私にとって「32歳である」というのは単に事実であって、それ以上でも、それ以下でもない。

とは言え、見た目の劣化はそれなりに感じていて、気にしていないと言えば嘘になる。

白髪も出てきたし、目元のシワも増えてきた。

もともと顔の彫りが深いほうではあったが、最近より深くなってきた気がしている。
単に目がくぼんでいるのかも。これが老化ってやつか。

気になるときもある。
でも、まぁいいか、という気持ちのほうが、いまは大きい。

それは、友人や恋人、仕事など、今まわりにいる人たちは、若い女枠ではない、私自身を見てくれているからだ。

「席を立つ準備をしておかないと」と思っていた、かつての「若い女」だった私は、自分の名前がついた席を自力で用意できる程度のたくましさは、身につけられたんじゃないだろうか。

用意された席にエスコートしてもらえたのは、私だからじゃない、若かったから。

若さという魔法がとけたいま、「こちらへどうぞ」なんて声をかけてくれる人はいない。

でも、正直言って、今の方が気楽なのだ。

「若い女」という符号が取れたことで、やっと一人の人間になれたような気がする。

「もし戻れるとしたら、何歳のときに戻りたい?」

この間そう聞かれて、「戻りたくないなぁ」と思った。

若い頃よりも、今のほうが楽しい。

30年も使っていれば、そりゃ体は昔より劣化しているけれど、脳みそはいまのところ良好。

知識もできることも増えて、やりたいことも尽きない。

それに、望まない場で「若い女枠」に座って、ニコニコしなきゃならない、なんてこともない。

めちゃくちゃ快適なのである。

シミだらけで髪も真っ白の、しわくちゃのおばあちゃんになっても、自力で自分の席を用意できる女でありたいな。

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