どう生きたいか、はずっと前から決まってる

以前購入して、途中までしか読んでいなかった伊佐知美さんのnote記事。
購入したのは2018年。noteからの通知で買ったことを思い出して、「そういえば最後まで読んでいなかったな」と読み始めた。

8万字と長いのでまだ読んでいる途中だけど、ここ最近もやもやと思いをめぐらせている部分に刺激を与えてくれる内容で、いま再び読み始めてよかったな……と思っている。

「これをやりたい!」という無邪気な気持ちと、「それをやって何になる?」という冷めた気持ちが心の中に同居していて、「何につながるかもわからないようなことを、今やっていていいの?」なんてことも思ってしまう。

昨年、一度郊外へ引っ越したけれど街の雰囲気が合わず、住む場所について悩みに悩んだときに「どう生きていきたいのか」についても考えた。

その過程で、「やっぱり浅草に近い場所に住みたい」という結論にいきつき、わずか4ヶ月で郊外からの引っ越しを決め、今にいたる。

この時思い描いた「どう生きていきたいのか」は、この時点で考え出したものではなくて、ずっと頭の片隅にあったものだ。
自分には無理そうだから、とその思いに気づかないふり、見ないふりをしていただけだった。

「ずっと」っていつからだろう、と考えてみたけれど、多分10年前とか。これだけ長い期間変わらなかったんだから、これはきっと、もうこの先も変わらない気持ちなんだろう。

やりたいことにまっすぐ向き合うのは怖い。叶わなかった時に悲しいから。自分にはできなかった、と敗北感を味わうのが怖いから。でもきっと、向き合わないでいたら、死ぬ間際の走馬灯で後悔するんだろうな。そんなことになったら成仏できなそう。なんかやだな。

たまたま生まれて、たまたまこの時代に生きているだけなんだよな、と最近よく思う。誰かから見て意味のあることかどうか、じゃなくて、自分にとって意味のあることで自分の時間を埋め尽くしたいし、その先で自分が大切にしたい人たちにとって、良い影響が届けばいいなと思っている。