今を記録する意味

このサイトはライターとしてのプロフィールや執筆実績をまとめるのをメインに使っていたので、ずっと「Eri Nakamura」と、自分の名前をサイト名としていましたが、思いつきで「定点観測」にという名前に変えてみました。

「定点観測」には、日々の瑣末なことをもっと記録していきたいな、という思いを込めています。誰かのためではなく、あのときこんなことがあったなぁ、と後で自分で振り返るための文章。とはいえ急な思いつきなので、やっぱりしっくりこないな、と思って前のサイト名に戻すかもしれませんが。

いま、昭和の文化や流行について書かれた本を読んでいるのですが、その時代に生きた人だからこそ知り得る貴重な情報がたくさん書かれていて、なかなか興味深い内容でして。私は昭和生まれではあるものの、昭和を実体験として知っているわけではないので、「いいなぁ、もうちょい早く生まれてたら体験できたのか〜」なんて思いながら読んでいたのですが、ふと、「今わたしが生きているこの時代も、いつかは昔のことになるんだよな」と。

先日、戦争を体験した世代の方からお話を聞くことがあり、すごく貴重な機会だったなと感じたんですが、何十年かたったら、若い人に「新型コロナが流行った時代を体験した方なんですね」と言われ、私がいま身を置いているこの状況を実体験として話すことが「貴重」なものになるのかもしれない。今を記録するのは大事なことなのかもしれないな、と思ったのです。

とはいえ、後世のためになる記録を残していこう! という、ジャーナリズム的な思いで何かを書こうとしているのではなくて、自分の身の回りの出来事、それについて感じたこと、考えをめぐらせたことなどをもっと残したいな、と。ごくごく私的な動機です。

今もまだあるのかわからないけど、数年前の一部界隈では「一般人のブログなんて誰も読まない、だから役立つ情報を盛り込みましょう」という話を聞くことが度々あって、私もそれが正しいと思っていた時期もありました。でも、なんだか窮屈で。書くことの価値は誰かに読まれることだけではなくて、書くことそのものが目的の文章があってもいいんじゃないかなと。内省のため、ただ記録をしておきたいから、などなど。

「読まれたいからネットにアップしているんでしょう?」と思う人もいるのかもしれないけど、そういうわけでもないんだよな。読まれてもいいけど読まれなくてもいい、みたいな……。SNSがなかった時代にブログを書いていたときには(アクセス数とか見てなかったからわからんが)たぶんほとんど読まれてなかっただろうし、でもそこは特に気にしていなかった。なんだろうなこれ、記録欲とでも言うのか?

読まれても読まれなくても書き留める。仕事で文章を書くことがなくなっても、これは細々とずっと続けていくんだろうな。