好きなものはそう多くなくていい

手広くいろいろなことに手をつけてきたし、あれもこれもやりたいなーと発想があちこちに飛んでしまうこともあるけど、昔よりも「やりたいこと」の純度が高くなって、よりシンプルになってきた気がしている。

「好きなもの」はそう多くなくていい。だってどうせ持ちきれないし、無理に持っても管理しきれない。全部をまんべんなく楽しめるほど器用でもない。

両手いっぱいに荷物を抱えて毎日を忙しく過ごして、充実した気分になっていたけれど、振り返るとあの頃はいつも疲れていたし、抱えていたものすべてが本当に心から「好きなもの」だったわけではないな、とも思う。

結局私が好きなのは、好きな音楽を聴きながらひとりパソコンに向かい淡々と文字を積み上げることだったり、喫茶店でぼんやりとコーヒーを飲みながら棚の上に並ぶマトリョーシカを眺めたり、雨の日には家にこもって細く開けた窓からしめった風の匂いを嗅いだり、そういうものだった。

自分がまだ知らないことの中にきっと素晴らしいものが眠っているんだろうと思い、外へ外へと手を伸ばしていたのが馬鹿みたいに思える。

いま、喫茶店でとあるアルバムを聴きながらこれを書いているのだけど、好きな曲が流れてきて口元がにやついてしまった。

幸せってそんなに大層なものじゃなくて、こういうちょっと嬉しくなる瞬間が日々に散らばっている状態のことを言うのかもしれない。