オンラインの私を粛々と閉じてゆく

度々ブログ等でも書いているけれど、SNS離れを粛々と進めている。

少し前から、SNSのスマホアプリは削除して、投稿する際はPCを使うようにしている(インスタのみPCから投稿しにくいのでアプリを使っている)。
ブラウザ上では基本的にはログアウト状態にしていて、必要な時にログインするようにしている。ログインしっぱなしにしていると、ちょこちょこ開いてタイムラインを眺めてしまうから。

noteはログインしっぱなしになっていたのだけど、ネット周りを整理する一環でnoteの更新を一旦停止することにして、noteからもログアウトした。

SNS離れを進めている私が活用しているのが、Feedlyだ。いわゆるRSSリーダー。ブログを登録して、まとめて読めるサービス。noteもアカウントごとに登録できる。

SNSの何が嫌かって、自分がフォローしていない「おすすめ」の情報がタイムラインに流れてきて、目に入ることだ。
いらないんです、そういうの。ただでさえ情報過多だというのに。自分が読みたいものだけを読みたい。

Feedlyはその点、広告も入ってこないのでいい……と思っていたら、先日スマホアプリで眺めていたところ「Sponsored」の文字が見えてゾッとした。好きな作家さんのブログや知人のブログなど、純粋に読みたいものだけを詰め込んだ安寧の地にノイズがぶっ込まれた、と。

ただ、その後何度見ていても「Sponsored」は出てこない。調べてみたらFeedlyじゃなくて、登録しているブログ側のPR記事の可能性が高いよう。よかった。表示させない設定の仕方もあるようなので、広告記事の表示頻度が高くなったら対策を考えよう。

※追記
Feedly、Sponsored記事入れるようになったみたいです。Proプランに加入すれば広告を非表示にできるよう。
まぁサービス運営もタダではできないから、無料プランでうだうだ言うのはよろしくないよね。そんなに目立つ感じではないからまぁいいか、と思っている。

SNSを見なくなった一方で、LINEニュースやYouTubeを見てしまっている。暇な時にスマホを眺めるのが癖になっていて、何かを見たいわけではなくて、見るたびに情報が更新されているものであればなんでもいい。スマホ中毒気味だというのは自覚している。最近は見てもいい日を決めて見るようにしている。

情報をじゃぶじゃぶと浴びたあとは、脳がぼんやりしているような気持ちになる。心ここにあらず、みたいな。考える、生み出すことをやらないと、このまま脳が弛緩していって、早々にボケそう。

だって、現代は昔と比べて、明らかに異常な量の情報を摂取し続けている。インターネット誕生以降の、過剰な情報を浴び続けた人が数十年後にどうなるかは、まだ誰にもわからない。大量の情報を摂取し続けた脳は早々に機能停止するかもしれないし、ブルーライトを浴び続けたことで目の病気を発症しやすくなるかもしれない。

だからといってネットを完全に使わなくなることはない。今もこうして、ネットで文章を書いているわけだし。
便利さを享受しつつ、自分に合った用法用量で使っていきたい。

思えば、昔はあらゆるものをいちいちネットに公表しすぎていたよなぁ、と。あれもこれも、ネットにUPしないともったいない、みたいな気持ちが、いまだに抜けない。日常のあらゆるものをネタにしようとしているような。

ネタにするためじゃなくて、「純粋に楽しいからやる」という感覚を、忘れかけている。小さい頃はずっとそうやって生きていたはずなんだけどな。小学生の時に、ハンカチ落としにハマって延々とやっていたことを思い出す。ハンカチ落としなんて今思うと単調な遊びなんだけど、あの頃は楽しく感じていた。経験値が少ないうちは、単純なものでも目新しく、楽しく感じるということなんだろう。

それなりの経験値を得た今、SNS類をだらだらと見てしまうのは、新鮮さを求めているということでもあるのかもしれない。外出しにくい状況だから、なおさら。

とはいえ、ネットの情報はノイズが多すぎる。だから、SNSで広く浅くではなく、収集先をしぼることにした。
そして、本やテレビ、ラジオなど、言い方は悪いがレガシーなメディアたちをもっと見るようにしようと思って、今徐々にシフトしている最中。

以前はなんでもかんでもSNSに上げていたけれどそれもやめて、不要なアカウントは削除。
元々、自分のプライベートな領域が明確にあって、限られた人しかそこには入れたくないと思うほうなので、日常をSNSに逐一UPするような生活は向いていなかったんだろうな。

オンライン上に拡散し肥大化した自分を、少しずつ回収していく感覚。

新しいものに憧れて外へ外へと手を伸ばし続けていた頃、それはそれで楽しかったけれど、今は広げるよりも深めるほうに焦点を当てたい。