「なんのために?」はもういいか

誰かの役に立つからとか、将来のためになるからとか、お金になるからとか、ずっとそういう軸でやることを選んできた。

「これ、なんのためにやっているの?」と、人に言われることがなくても、自分で自分に対して思っていた。「自分はこう思う」「これが好き/嫌い」は横に置いておいて、「こうすべきだ」と思い込んできたものを追いかけていた。確実に成果が得られるものに自分のリソースを費やすべきで、「楽しむためだけにやること」に時間を使うのは無駄だ、とすら考えていた。

テレビを見なくなった。小説は読まず、ビジネス書ばかりを読むようになった。ネットで漁るのは、仕事に役立ちそうなビジネス系メディアの記事。SNSでフォローするのは、自分に役立つ情報を提供してくれるインフルエンサーか同業者。

結果、心が死んだ。

「好きなことも、やりたいこともわからない」と悩んでいたのは約2年半前、フリーランスになったばかりの頃だ。

文章を書くのが好きなのはうっすらわかっていたけれど、「好き」への感度が著しく劣化していたから、「文章を書くのが好き」という自分の感覚すら「本当かな?」と疑っていた。

自分は比較的、物事を順序立てて考えられるほうだという自負はあった。けれど「好きなこと」に関しては、いくら考えて考えて考えて考えても、頭にもやがかかったかのように、脳みその「好きなこと」を考える部分だけが麻痺しているんじゃないかと思うくらいに、まったく頭がまわらなかった。
たとえるなら、視界の一部が欠けているような感覚。そこに何かがあるのはわかるけれど、何があるのかが見えない状態。

「文章を書く」とひとえに言っても、「じゃあ、何を書くか?」となる。ここで「好きなこと」の出番だ。でもわからない。何を書きたいのかわからないのに、なんで文章を書きたいと思うんだろうか。それもよくわからなかった。考えても考えても、よくわからない。とりあえず「できること」を元に書いてみることにした。

基本的に「文章を書く」行為そのものが好きだったので、何を書いてもそれなりに楽しかった。でも、完全ど真ん中の「好き」じゃないな、と感じていた。

それから、いくつかの場所でいろいろな種類の文章を書かせていただく機会に恵まれた。書きながらずっと、「自分は何が好きなんだろう」と考え続けていた。書いたことがないけど興味があるジャンルについては、自分でサイトを作り、まずその箱の中で文章を書いた。(サイトをわざわざつくったのは、実際に書いてみないと書き続けたいかどうかはわからないから。外部メディアで書いて「やっぱり合いませんでした!」ってなったら迷惑なので……)

目的をもって何かをするのをやめた。役に立たなくても面白いもの、楽しいこと、好きなものに手を伸ばすようにした。そうするうちに、楽しいときや好きなことをしているときの、自分の心の動きや感覚を徐々に思い出していった。

古い喫茶店、和小物、陶芸品、季節の花を部屋に飾ること、ジブリの映画、朝イチの空、などなど。

好きなことは意外とあって、やりたいこともそこに紐づいて自然と出てきた。好きなことややりたいことに打ち込むのって楽しいことなんだな、と感じたのは、十数年ぶりだった。

でもまだ、「それ、何のためにやってるの?」と言ってくる自分が、ひょっこり現れることがある。

「それをやり続けて、何になるの?」
「将来、何かの結果に結びつくの? それを評価してくれる人はいるの?」
「そうじゃないなら、やる意味はあるの?」

たとえ何かを成し遂げられなくても、それをやっている自分が楽しければ、それだけで意味があることなんじゃないか……というのは、昔ある人に言われた言葉だ。当時の私は、それを理解できなかった。結果がすべてじゃないのか。得られるものが何もないのに、どうしてやるのか、と。

そもそもの考え方が違っていたことに気づいたのは、わりと最近だ。人生における目標の置き方の違い。
「幸せを感じられる時間をなるべくたくさん作りたい」が目標なら、好きなことを追求して楽しんでいれば、その状態が目標を達成しているということになる。結果結果! と鼻息荒くのたまう私は、さぞかし不思議に見えたことだろう。

「結果が出そうにないから、好きなことだけどやらない」と、いくつものことを諦めてきた。そのうちのいくつかは、今からはもう挑戦できないことだ。やりもせずに諦めたことを、後悔している。
そして「そんなに好きじゃないけど、結果が出しやすいもの」を選び続けたら、好きなこともやりたいこともわからない状態になっていた。

「結果」はひとつの点でしかなくて、そこに至るまでの過程にかかる時間の方が長い。過程が楽しくなかったら人生をトータルで見たときに、楽しくない時間のほうが長くなってしまう。

しんどくないか、それ。

「なんのために?」は、もう手放そう。

理解されないだろうな、普通はこんなことやらないよと思われるだろうな、と思っても、自分がやりたいようにやればいい。

「何でそんなものが好きなの?」って不思議がられても、好きなものは好きなんだよね、って言って済ませればいい。

死ぬ間際の走馬灯で、楽しい記憶ばかりがくるくるとめぐるような人生にしたいな。