ストレス爆上がり後、カフェで思考がぶっ飛んだ月曜日

昨日、投票のために外出してスーパーに寄って帰る途中で、突然ストレス値が爆上がりし、心が死んだし顔も死んだ。あからさまに不機嫌な仏頂面。カフェで気晴らしでもしたかったのだが、昨日は締め切りを控えた原稿があったので、やむなく帰宅。ずっと家にこもりきりで原稿を書いていたからかと思ったけれど、帰宅してパソコンを開いたら、一瞬ストレスがすーっと消えていくような感覚になった。でもその後またストレス値が急上昇し、死んだ顔でパソコンを打ち続けた。原稿はひとまず完成。

明けて今日、昼までに諸々の仕事を片付け、午後は休むことにした。お気に入りの近所のカフェに、本を持って行って読書。「本日のケーキ」はチーズケーキだった。ハーフサイズにしたのだけど、一口食べてフルサイズにすればよかったと後悔。美味しかった。飲み物はアイスコーヒー。その店では、ドリンクを注文すると必ずかりんとうが付いてくる。ケーキをちまちま食べながらコーヒーを飲み、かりんとうをかじる。至福。

定位置は、古本がびっしり並んでいるお一人様用カウンター席。古本の匂いが好きだ。本がある空間が好きだ。洋楽やインスト、日本の昔っぽい音楽に中国語かなと思われる曲など、いろんな音楽がごちゃ混ぜで流れている。有線を流しているのではなく、店主のチョイスなんだろう。知らない曲ばかりだったけど、どの曲もお店にぴったりで、あぁ好きだ、と思った。店内は私一人で、貸し切り状態。こんなに素敵な店なのに、いつもお客が少なくて不安になる。どうか潰れないでくれよ。

その店で読んでいたのは、カフェー・パウリスタという老舗喫茶店の歴史を綴った本。1911年創業、日本最古(諸説あり)の喫茶店と呼ばれているお店で、コーヒーを一般市民が手軽に飲める金額で出した最初の店だ。当時はかなりハイカラな店として話題だったそうで、いろんな作家が著作内にその店の名を出している。1910年代はまだ着物の人がいた時代。そんな中で西洋風の建物でコーヒーを飲むなんて、めちゃくちゃ最先端なことだったんだろう。芥川龍之介、谷崎潤一郎、与謝野晶子、森鴎外、あとアインシュタインも訪れていたらしい。なんだこのラインナップ。

現代においてはオシャレで最先端なお店、なんて至るところにあふれていて、流行りすたりも目まぐるしいから、特定の店に著名人がこぞって訪れることもないし、固有名詞として店名を出して「あぁ、あの店ね」と通じるような店って生まれないんじゃないんだろうか。

本を読みながら、1910年代の日本にちょくちょく脳内トリップ。素晴らしい時代だな、と懐古趣味に走りそうになるけれど、映画『Midnight in Paris』をふと思い出す。ハリウッドの脚本家であり小説家を目指す男性がパリに旅行に訪れた際に、1920年代のパリにタイムトリップをして、ヘミングウェイやピカソなどと出会うという話。彼は「この時代のパリこそ黄金期だった」と感動するが、1920年代の女性と更に昔にタイムトリップをした時、女性が「この時代のパリは素晴らしかった」と言った時に、どんな時代であっても、自分が今いる時代は退屈に感じるものなんだ、と気づく。

自分が今いるこの時代も、未来の誰かにとっては羨ましく感じるような、素晴らしき過去になるのだろうか。時代の移り変わりについて、最近よく思いを馳せる。三十余年生きてきて、そろそろ流行り物にも疎くなってきて、若い頃には時代の中心にいるような感覚はあったけれど、今はもう現役引退感がある。悲しい訳ではなくて、むしろこの変化は面白い。年を取るのは楽しい。単純に知識も増えるし、許せることも増えて、だいぶ気楽に生きられるようになった。早く不惑の年になりたいものだ。

……というような脈絡のないことを、カフェであれこれ考えていた。私は思考がすぐにぶっ飛ぶ。集中できる時はめちゃくちゃ集中できるけど、できない時はできない。本を読んでいる最中にそこから想像を広げて気づけば全然違うことを考えていたり、急にスマホで仕事の調べ物を始めたりする。ちなみに今は集中モードで、始めは「ストレス溜まってたけどカフェで気晴らししたら癒されました」的なことをサラっと書いて終わりにする500文字くらいのnoteを書こうと思っていたのに、気づいたら1800文字ほど書いていて、あれ? となっている。今書いていて思ったけど、集中して原稿を書く時間が長くて、あれこれ思考をぶっ飛ばす時間を取れていなかったのもストレス値が爆上がりした原因かもしれない。わからんけど。

近所にあるもうひとつのお気に入りのカフェが、「コロナの影響で臨時休業します」の張り紙をもう何ヶ月も貼っていて、その張り紙を見た時にもあれこれ考えたことがあったんだけど、脳みそが疲れてきて思い出せないのでそろそろお開きにいたします。それでは。