「よそはよそ、うちはうち」の精神で

「ただのブログはどこへ行った」という記事を、約2年前にnoteで書いた。

情報発信とか、なんかもう息苦しいな……と鬱憤が溜まっていた時に、夜中のテンションと勢いで書いたもの。いまだにちょこちょこ読まれており、2年かけてスキの数も400を超えた。自分のnoteの中では一番スキの数が多い記事だ。

そして今日、noteを開いてみたら、この記事を2人の方が取り上げてくださっていた。ありがとうございます。

ちなみに、2つめのnoteのタイトルにある「ある1つの記事」は私の記事ではなく、えとみほさんの以下記事。前に別の方に「ただのブログはどこへ行った」を紹介いただいたときにも、えとみほさんの記事とあわせて紹介されたことがあったので、note上で関連記事的な感じで一緒におすすめに表示されているんだろうか……?

さて、お二方が取り上げて下さったのがきっかけで、改めて冒頭に引用した自身のnoteを読み返してみたところ、「ただのブログ、じゃんじゃん書こうぜ!」と書かれていた。でも、実はここ最近、ただのブログが書けずにいる。「いや、この記事読んで得する人いる?」みたいな。「有益なものを書かねば症候群」だ。「ただのブログ、じゃんじゃん書こうぜ!」って、どの口が言ってるんだよ。
あと、私は執筆業なので「ちゃんとした文章を書かなきゃ!」という気負いもある。そう思えば思うほど、書けない。そして、「noteを更新しなきゃ」と焦り始める。

「有益なもの」って何なのか? 数字としての成果につながるもの。学びを得られるもの。有益なものじゃなきゃ価値がないのか。そしたら、小説とか映画は価値がないのか? そんなことはないだろう。

「ちゃんとした文章」とは? 誤字脱字がないこと。構成もしっかりしていて、文章が破綻していないこと。「ただのブログはどこへ行った」は、文章としては赤入れ要素満載で、”ちゃんとしていない”のだ。なのに、私のnoteの中で一番「スキ」が多くついている。

「noteを更新しなきゃ」いけない理由は? みんなが書いているから? 毎日更新にチャレンジしたこともあったけど、10日くらいで早々に音を上げた。毎日書ける人もいるのにどうして自分にはできないの? と自分が嫌になった。今思うと、嫌になる要素は一つもないんだけど。

どうして自分で自分を不自由にしているんだろう。

このやり方が100%正しい、なんてことはない。単に「自分がどれを選ぶか」だ。有益なものを書いてもいいし、役に立たないことを書いてもいい。ちゃんとした文章だけを書き溜めてポートフォリオとして使ってもいいし、個人的な日記として使ってもいい。毎日更新してもいいし、気が向いた時に書いてもいい。好きにすればいい。
そして、自分と違うやり方を選んだ人を、否定しない。自分の正しさを証明するために誰かを攻撃するのは、美しくない行為だと思う。私はめちゃくちゃそういうタイプの人間なので、この文章は自身への戒めのために書いている。

「よそはよそ、うちはうち」の精神で、マイペースにいこうと思う。