“若い女”という魔法がとけたら人間になれた

「モテるでしょ?」

とある店のカウンターで1人で飲んでいたときのこと。その声にちらりと横を見ると、1組の男女がいた。女性はおそらく20代半ば、男性はもう少し上、といったところか。冒頭のセリフは、男性が女性に向けて言ったものだった。
「若い頃はちょっとはモテてましたよ。でも、今は全然」そう答える女性に対し、「いやいや、今だって若いし」と言葉を重ねる男性。

その会話を横で聞きながら、「モテるとモテたって、たった1文字だけどえらい違いだよなぁ」と、ビールを呑みながら考えをめぐらせる。

「モテたでしょ」と聞かれたとしたらそこには、「(若い頃は)モテたでしょ」という、声なき声が存在する。つまり、もう若くないと見なされている、ということ。

私は今年で33歳になる。一説によると、「アラサー」は30歳の+−3歳を指す言葉だそうだ。来年は34歳。アラサー枠から抜け、あと数年もすればアラフォーに突入する。

以前、とある映画監督と女優の対談をテレビで見た。監督は「女優さんは若いだけで十分魅力的なんだ。でもね、若さを売り物にしてはいけない。演技者の魅力とは別のものだから」と言った。その言葉に対し、女優は「若さという魔法がとける瞬間は、必ずやってきますから」と言葉を返していた。

その女優は私と同い年だった。10代でデビューをして、今もなおドラマや映画で活躍している人。若さに高い価値をつけられる世界にいる彼女はおそらく、一般の女性よりも若さを失う実感を強く感じていたんじゃないかと思う。

ただ若いというだけで、優遇されることは確かにある。そしてそれは、「若い男」よりも「若い女」のほうが顕著だと感じる。仕事であれば、失敗を大目に見てもらえたり、逆に少し仕事ができると「若いのにしっかりしている」などと過剰に評価をしてもらえたり。プライベートなら、食事をおごってもらいやすいとか? 合コンや飲み屋でも、まぁ若い方が声は掛けられやすいだろう。

若さという何の努力もなしに備わっているもののおかげで、いい思いができるなんて。「若さという魔法」という表現は、なんともしっくりくる。

でも、人は誰しも老いる。魔法はいつか、必ずとける。

「若さにひもづいて評価されているものを、自分の実力と思ってはいけない」という感覚はずっとあった。「若い女」という枠は特定の個人の固定席にはなり得ないから。

20代、まだ会社員のころは、仕事の飲み会で「役員の方が来るから隣は若い女の子がいいだろう」と、若い女枠で私があてがわれることもあった。でもホステス役を務めるつもりはなかったので、少し離れた席に座っていた「元・若い女」であるお姉様の“あなたお酒くらいつくりなさいよ?”という目線には気づかないふりをして、マイペースに飲んでいた。

こんなサービス精神が乏しく可愛げのない「若い女」であっても、それなりに会話をしただけでも役員に名前と顔を覚えてもらえ、会社で気軽に話しかけてもらえるようになったりもする。そういう意味では、若い女枠は得だなと思ったこともあった。
だが、その席は入れ替わり制なのだ。私もそのうち「元・若い女」になる。席を立つ準備をしておかないと、という気持ちは常にあった。

若さはそれだけで無条件に価値があるものだ。なぜなら、取り戻せないものだから。見た目の若々しさはお金を掛ければ手に入るかもしれないけど、本当の意味での若さはどうやっても取り戻すことはできない。ただ、若さはその人の価値そのものではないと思う。

「元・若い女」の私は、頭の中身は大して成長していないので「自分はまだ若い」という感覚があるけど、33歳は20代からしたらおばさんだろう。一方、40代からしたら若者でもある。30歳になったときに、「30歳なんてまだまだ若いわよ!」と、40代の女性に言われたことがあるが、私が40歳になったときその人は50歳。「40歳なんてまだ小娘の域よ」と言われるのかもしれない。

「だから、私はおばさんじゃない!」と言いたいわけではなくて、まぁおばさんでもいいかな、と思っている。年齢に対する評価は相対的なもので、そのとき周りにいる人が自分より若ければおばさんだし、年上の方が多ければ若者なのだ。90歳くらいになったら「あぁ、歳とったなぁ」と思うかもしれないけど、今のところ、私にとって33歳であるというのは単に事実であって、それ以上でもそれ以下でもない。

とは言え、見た目の劣化はそれなりに感じていて、気にしていないと言えば嘘になる。白髪もあるし目元のシワも増えてきた気がする。最近は前よりも顔の彫りが深くなってきたような気がするが、単に目がくぼんでいるだけなのかも。これ、老化ってやつか。

気になるときもあるけど、「まぁいいか」という気持ちのほうが大きい。それは、友人や恋人、仕事で関わる方など、今まわりにいる人たちは若い女枠ではない私自身を見てくれているからだ。

「席を立つ準備をしておかないと」と思っていた、かつての「若い女」だった私は、自分の名前がついた席を自力で用意できる程度のたくましさは身につけられたんじゃないだろうか。

若さという魔法がとけた今、「こちらへどうぞ」なんて優しく席にエスコートしてくれる人はいない。でも正直言って、今の方が気楽なのだ。「若い女」という符号が取れたことで、やっと一人の人間になれたような気がする。

「もし戻れるとしたら何歳のときに戻りたい?」

この間そう聞かれて、「戻りたくないな」と思った。若い頃よりも今の方が楽しい。
30年も使っているから体は昔より衰えてはいるけれど、知識やできることは増えたし、やりたいことも尽きない。それに、望まない場で「若い女枠」に座ってニコニコしなきゃならない、なんてこともない。めちゃくちゃ快適なのである。

シミだらけで髪も真っ白のしわくちゃのおばあちゃんになっても、自力で自分の席を用意できる人でありたい。