プロフィール

はじめに

社会人10年目を迎える今年(2018年)の4月から、フリーランスになりました。

「結婚したら仕事辞めるんでしょ?」「会社をやめて独立? そんなの人生棒にふるようなもんだ」なんて当然のように言われていた10年前と比べたら、女性が長く働くことも、フリーランスという働き方も、珍しくないものになってきたように思います。

それでも、会社を辞めるのは、ものすごく不安がありました。

毎月決まった日にちにお給料が振り込まれなくなること。
「会社員」という肩書きがなくなること。
仕事も自分から取っていかなければならないこと。

すべてわかった上で、それでもフリーランスになることを、書くことを仕事にすることを決めました。

こちらは、フリーライター・中村 英里の、幼少期から今に至るまでを書いたページです。

浅草生まれ浅草育ち、85年生まれ。
Webデザイン、ディレクター、プログラミングスクール広報等を経て、フリーランスのライターになりました。
現在は取材・インタビューメインに活動中。

事実だけを短くまとめてしまえば、これで済ませられます。

2,000字を超えたあたりで「長っ……これ読んでくれる人いるのか……」と不安にもなりましたが、ライターの仕事はリモートでできる部分が多いこともあり、依頼してくださる方からしたら「中村ってどんな人間なの?」というのが見えにくい状態なんじゃないか? と思い、書くことにしました。

フリーランスは”ひとり”ではありますが、”ひとり”で仕事をする訳ではありません。
一緒に働く方々には信頼してもらいたいし、信頼できる方とお仕事をしていきたいと考えています。

どんな考えをもって生きてきて、今に至っているのか。
そしてこれから何をやりたいのか。

この30数年間を、ざっと5,000字ほどにまとめました。

目次見ながら拾い読みしていただくだけでも嬉しいので、よかったら読んでください。

 

経歴(めちゃ長いです)

幼少期:浅草で生誕。小学生の頃に父の会社がつぶれる

1985年12月某日、浅草で生まれる。
両親、私、三つ下の妹の四人家族。

部屋の中で走っていてガラス戸に頭から突っ込んで血だらけになったり、旅行先で窓から落ちて木の枝で顔面ざっくり切ったりと、たまに大怪我をしつつも、すくすくと成長。

実家は祖父母の代から浅草で靴問屋を営んでいたが、小学生のころに会社が倒産し、店をたたむ。

店がつぶれて、お金はなくなったが、小さい頃は苦労したような記憶はまったくない。

大人になってから父が「あの時は大変だったなぁ」なんて話をしていたので、私が知らないところで大変なこともたくさんあったんだろう。

店が潰れたあとも、店舗兼住居だったその物件に住み続けたが、大学のころに売りに出すことになり、浅草の別の場所に家族で引っ越した。

その後、その物件はシェアオフィスになったが、ライターとして取材に行った先が、そのシェアオフィスを運営していた人だった、というびっくりする出来事が最近あった。

▼気になる方は、詳細はこちらに書いてますのでどうぞ。

Twitterで仕事を受けたら、売却したかつての我が家に再会できた|中村 英里|note
今日は入谷へ行き、地域に根付いてまちづくり事業をやっている会社の代表の方へ、取材に行った。 この取材は、浅草を紹介するメディア「COREZO!ASAKUSA」を運営する方...

小学校〜高校:面倒な関わりはヌルっとかわす。群れるのが苦手な女子高生時代

小学校のころは、アスレチックを一周何秒でまわれるか、というのを友達と競って、日が暮れるまでずーっとぐるぐるまわるのにハマっていたな、くらいの記憶しかないが、のほほんと楽しく過ごしていたような気がする。

中学に入り、小学校の友達が数人しないない状況で、「あれ、初めましての人ってどうやって仲良くなるんだっけ」というのがわからなくなり、人見知りを発動。

さらに中学くらいから急に現れた「女子のグループ」みたいな概念も苦手だったので、中学〜高校では、めんどくさそうな関わりはヌルっとかわし、気の合うごく少ない友達と、狭く深い友人関係を築くように

▼高校のときに仲が良かった子とは、いまだに会ってます。

もしもソースでシャツが汚れても、あの子とならきっと笑い合えただろう #おんなと...
「友達がダメになったら悲しいよ」 泣きそうな顔でそう言うのを見て、私も泣きそうになった。 いや、先に泣きそうだったのは、私のほうだったかもしれない。 高校の時...

大学:総勢100人の学祭実行委員に入り、大富豪三昧

大学で100人以上いるサークル・大学祭実行委員会(名前は委員会だけど、サークルみたいな扱いだった)に入ったことで、人見知りがちょっとマシになる。

実行委員では、模擬店を出す学生と業者の中継ぎをしたり、大学の近くの飲食系のお店に、学祭に出店してくれませんか? と営業をかけて誘致したりしていた。

そんな感じで半年かけて学祭の準備をし、あとの半年は飲んだり合宿(という名のただの旅行)に行ったりして、ゆるゆると学生時代を過ごす。

授業をさぼってテラス席で何時間もひたすら大富豪(トランプゲームの)をやるという、いま思うとめちゃくちゃ無為な時間の過ごし方をしていたけど、意味のないことにふんだんに時間を使って、友達とくだらないことで笑ったり、ケンカしたりしていたあの時間はいま思うと有意義なものだったと思う

学科は、日本文学(近代)を専攻していて、卒論は江戸川 乱歩について書いた。
ほかは太宰 治、中島 敦あたりを読んでいた。

勉強よりサークル活動に精を出すほうだったので、特筆事項はないが、あえて書くとすれば、ゼミの先生が「犬に噛まれた」という理由でずる休みすることで有名な人だった。

就活時には、「女性でも活躍できそう」「学祭のときに営業かけるの楽しかったな」というフワっとした理由で、保険会社に就職。

2008.4-2010.1:保険会社(生保営業)

保険会社で生命保険の営業職を2年ほど経験。

100人いた同期が数ヶ月でバタバタと辞めていき、一年後には30人ほどに。

仕事は厳しかったが、上司に恵まれたこともあり(以下エッセイ参照)、同期の中では長く続けられたほうだと思う。

▼保険営業時代の話はこちら

2010.2-2014.10:某メガベンチャー(ユーザー会運営/Web業務)

IT系の会社(某ERPパッケージソフトベンダー)に転職。

ソフトを購入した法人ユーザーが加入するユーザーコミュニティの運営をする部署で、勉強会の運営や会報誌の発行などを担当。

一般職だったので総合職よりも仕事の範囲が狭く、もっといろんな仕事をやりたい……と思っていたところ、部署内で「いま紙で出してるものをWeb化したいから、部署内にできる人がいればいいよね〜」という話が上がり、「Webを勉強したらその仕事やらせてもらえるのでは?」と思って勢いで専門学校に入学(自腹)

仕事と並行しながら、Webデザイン(Photoshop/Illustrator/Dreamweaverの使い方、HTML/CSS/JQuery)を半年間学ぶ。

その後独学でWordPressを学び、勉強がてらこのブログサイトを立ち上げる(2013年12月)。

会社で「いまWeb勉強してるんですよ〜」としつこくアピールし続けたところ、Webまわりの仕事を無事ゲット。

2014.11-2017.3:飲食企業(Web/システムまわり)

食べ歩き好き(主に肉、そしてビール)が高じて、飲食店を運営している企業に転職。

マーケティングの部署で、グループ店舗(当時は200店舗くらい)共通のポイントサービスのユーザー向けのマーケティング(CRM)を担当。

色々やっていたので、箇条書きにします↓

・ポイントシステムの保守
不具合や使いにくいところを修正したり、キャンペーン情報を掲載できるようなCMSを開発したり。(デザイナー/エンジニアは外注、私はディレクション業務)

・ポイント会員向けのHTMLメルマガ発行
クーポンやキャンペーン情報を送ることが多かったが、「〜やってみた」みたいな企画を勝手に考えて、実際に店舗に行った様子をブログ記事にして、メルマガで送ったりもしていた。

・Web予約システムの開発で、UIディレクション
メニューや営業時間など、複数のデータベースに入ってるデータを、サイトのどこにどう表示して、ユーザーをどう遷移させて予約完了までもっていくか、というのを考える人=UIのディレクションを担当。

・グルメイベントの企画
肉の日に肉づくしのイベントをやったり、夏に、お祭りの屋台料理を大人版にアレンジ(トリュフ焼きそばとか)したものを出すイベントをやったり。

この間、仕事とは別に知人に頼まれてWebサイトを作ったり、知人が開催したイベントのレポート記事を書いたりもしていた。

このとき、会社の仕事以外でお金をもらうという経験を初めてして、自分がしたことがダイレクトにお金になって返ってくることに、大げさかもしれないが感動のようなものを感じた

そこから、ゆくゆくはフリーランスになるという選択肢もアリなのかもしれない……とうっすら考えるようになる。

2017.4〜2018.3:IT/Web系スクール(広報)

IT企業にいるときに通っていたWebの専門スクールの知り合いに声をかけられ、そこの運営元の会社に入社。

プログラミングスクールに配属され、広報として、卒業生インタビュー記事の執筆、Webページ更新・制作(ディレクション)などをおこなう。

……が、そこは社内ベンチャーとして新しく立ち上げた学校で、立ち上げ初期のスタートアップ的な激務により、半年ほどで体調を崩したため、同じ会社が運営する別の学校(大学)に部署異動することに。

自分が体調を崩した少しあとに祖母が入院したこともあり、「健康な状態で、やりたいことをやれる時間には限りがあるんだ」と改めて感じ、じゃあ自分の時間を何に使おうか、と考えるようになる。(その後、祖母は無事退院しました◎)

小さいころから作文でも日記でも、とにかく文章を書くことが好きで、「いつか書くことを仕事にできたら」という気持ちはあった。

広報の仕事を選んだのも、インタビューなど文章を書く機会が多くて、執筆実績として使えるかもしれない、という思いがあったから。

一度ちゃんと勉強してみようと思い立ち、天狼院書店が運営するライティング講座を受講。

そこで決心がつき、年度末の区切りで退職。

▼退職エントリ

意識高い系バリキャリ女子が牛丼で目覚め、無職になることを決めた理由
その日、牛丼を食べるために喜んで命をすり減らした人が沢山いた。冷めた目でその様子を見ていたけど、もしかしていまの私も同じことをしているんじゃないかということ...

2018.4〜:フリーライター

現在はフリーライターとして活動中。
新R25、下町メディア「COREZO ASAKUSA」にて、取材記事の執筆を行なっている。

〜経歴は以上。長々とお読みいただき、ありがとうございました〜

こんなことができます

取材・インタビューが得意です

と、自分では思っていなかったのですが、フリーになって一番最初の取材で同行していただいた編集の方に「質問の仕方うまいですね」と言っていただけたので、書きます(図々しいし自分でハードル上げてますが……でも書く)。

取材前には、ネットストーキングさながらに、取材対象のことを調べあげます。

当日も、質問して答えてもらう、形式的な「一問一答」にならないように、自分が思っていることも交えつつ、コミュニケーションを取りながら話をすることを心がけています。

▼直近の取材記事はこちら

エッセイやコラムも書けます

……と言いつつ、原稿料をいただいてお仕事として書いたことは、まだありません。
ですが、ライティング講座を受けていた天狼院書店のWebメディアに、寄稿というかたちで掲載されたものはあります。

仕事や働き方、キャリアについての考えを書いた記事が多めです。

死んだ彼女と今日も生きている私のたった一つの違い
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。 【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コー...
モラハラ彼氏も体調不良も「まだ大丈夫」なんかじゃなかった《プロフェッショナル...
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。 【6月開講/東京・福岡・京都・通信/入試受付ページ】本気で...
ただのブログはどこへ行った|中村 英里|note
情報発信とか、なんかもう疲れません? 発信てなに。何を発しているの。 情報? 情報って何の? 有益な情報を? 発信する? したい人は、すれば良いんじゃないで...

▼執筆実績はすべてこちらにまとめてあります!

執筆実績
インタビュー働き方・生き方▼なぜ彼に年間300万円のスポンサーがつくのか。プロ無職・るってぃのアツい生き方(三本立て①)▼「日本人は金稼ぎが下手」プロ無職・るって...

こんなジャンルが書ける/書きたい

これまでの仕事と絡めて、興味関心があるジャンル
Web・IT・クリエイター・スタートアップ・キャリア形成・働き方や生き方の多様性
趣味、自分のルーツなどにもとづいている、好きなジャンル
下町(人、歴史、グルメなど)・ものづくり・レトロなもの・純喫茶・文学

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