コミュニティへの依存が「やりたくないやるべきこと」を生む

コミュニティへの依存が「やりたくないやるべきこと」を生む


3月末に会社を辞めて、早二ヶ月目。

今までは、会社がくれる名刺を出せば、それが私の信頼として扱われたし、何も考えなくても「やるべき仕事」はそこにあり、それをただやるだけでよかった。

そんな状況に慣れてしまっていたから、やめる前までは、「所属しないこと」に対する恐怖があった。

でも実際に辞めてみると、何のことはない。
むしろ、軸を「所属」に置くことに、向いていなかったのかもしれないと思う。

もともとの私は「所属したがり」だった。
社会人になってからは、仕事以外のコミュニティに必ず所属していた。

カフェを借りてイベントをやったり、学校に通ってみたり、オンラインサロンに入ってみたり。

同じ価値観の人とばかり接していると、視野が狭くなりそうで嫌だった。だから、仕事と関係のない属性の人がいるところに出入りするようにしていた。

でも、所属することを求めていながらも、どっぷり浸かることには違和感を感じていたし、そうなってしまった時は非常に疲弊してしまっていた。

オンラインサロンに入っていたとき、毎日のようにFacebookを見て、平日夜や週末もいつもそのサロンのメンバーと遊ぶ、という状態になっていたことがあった。

とにかく隙間を埋めて考えないようにしたい、考えたくないことがあったのであえてそうしていた、という面もあったのだが、仕事もそれなりに忙しく、わずかばかりの自由に使える時間を、人と会う時間にすべて充てるというのは、はっきり言って向いていなかった。

そして疲れてしまい、サロンは大分前に辞めた。

サロンの友人が嫌いだったわけではない。
むしろ、型にはまった人生しか送ってこなかった私にとって、楽しいことに貪欲な大人たちとの交流はとても刺激的で、学びも多かった。

あの経験があったからこそ、会社員以外の選択肢を考えることができたし、「自分がやりたいことは何だろう」と考えるようにもなったし、だからこそフリーランスという選択をすることができた。

あの時、サロンで疲弊してしまったのは、一言で言えば所属するということに「依存」していたからだと思う。
サロンだけではない。職場に対しても同じ感覚だった。
私は、居場所やアイデンティティを所属先に求め、そこに自分の軸を置こうとしていた。

それが間違っていた。

軸は常に自分の中にあるべきなのだ。
会社員だろうと、フリーランスだろうと。

「やるべきこと」にあふれた日々の中におぼれそうになっていた、昔の愚かな私に今言えることがあるとすれば、「やるべきこと」なんて、実はひとつもないということ。

必要以上に不安がって、依存したいと思う脳みそが「これをやるべき」という間違った答えを叩きだし、それによって勝手に疲弊していただけ。

そんなひとり芝居はくだらない。

会社を辞めて完全に無所属になった私は、「やるべきこと」がない日々を送っている。

「仕事」もしてはいるが、仕事という感覚があまりない。

会社員のときに、余暇の時間で個人で仕事を受けたりしていて、「休みの日も仕事してるの? 辛くない?」と友達に聞かれたこともあったけれど、仕事というより好きなことをしている、という感じだったので、辛さはなかった。

今は、その余暇の少ない時間でやっていた「やりたいこと」に大いに時間を費やすことができる。だから、仕事という感覚がないのだ。

よく起業家の方々が休まずに仕事してます! というけれど、会社を辞めるまでは正直その気持ちが理解できなかった。
いや、休みたくない? さすがにしんどくない? と。

でも今は、(起業家の方々と自分を並べて考えるのは、大変おこがましいことだが)ちょっとだけ、その気持ちがわかる。
気づくとずっとパソコンに向かってしまうので、意識的に休む日を決めないとな、と思っている。

フリーランスと言っても、外界から遮断されて一人で仕事をするわけではないし、業務委託として「所属する」こともある。
フリーランスやライターのコミュニティに所属することも、今後あるだろう。

「所属すること」が悪だという訳ではない。
それに依存し、所属先そのものが自分のアイデンティティのように思ってしまうことが、良くないことだと思うのだ。

コミュニティの中に自分を最適化するのではなく、自分の中から価値を切り出し、コミュニティにそれを提供する。

もし今後コミュニティに所属することがあるのなら、そんなふうに向き合っていきたいなと思っている。

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