売れない営業だった私が「あえて売らない」ことで評価が上がった理由

真っ黒なスーツに、白いシャツ。

4月に入ると、見るからにスーツに不慣れな若者たちで、通勤時間の電車は混み合う。

今から9年前の4月には、私もその中の一人だった。

大学を卒業した後、とある生命保険会社に入社し、営業として働いていた。

規模の大きな企業にお勤めの方であれば、エレベーターホールや食堂などで、保険会社のマーク入りの名札を胸につけた女性を、見たことがある人もいるのではないだろうか。

私はそれをやっていた。

地域をまわって自宅のインターフォンを鳴らす「地域営業」ではなくて、担当企業が割り振られ、そこの従業員に保険を売る「職域営業」である。

どんな仕事なの? と聞かれた時に、「社員食堂から出てくる見ず知らずの社員に話しかけ、横につけて一緒に歩き、エレベーターまでの短い距離の間で個人情報を聞き出し、保険の提案につなげる」と説明すると、一様にかわいそうな目で見られる。

ほかの業種の営業を経験したことはないのだが、その反応からすると「生命保険の営業」というのは、営業の中でもかなりきつい部類に入るようだ。

毎月の成績は壁に貼り出され、部署内の全員にさらされる。良い時は鼻高々だが、悪い時はものすごくつらい。

「何百人に会って提案していたとしても、契約が取れなければ働いていないのと同じだからね」と言い聞かされ、社会人ってなんてシビアなんだろう……と毎月胃が痛くなる思いだった。実際、急性胃腸炎にもなった。

***

そんな中、以前契約をもらったことがあるお客さんに、追加の提案をした時のことだ。

担当企業のひとつに病院があり、そこに勤める、看護師の方だった。以前契約してもらったのは医療保障が付いている保険だったので、今回は貯蓄型の年金保険をすすめた。

以前加入した保険は手厚い医療保障がついているタイプのものだった。

よくCMでやっているような数千円で入れるものではなかったので、月の保険料はそれなりの金額だった。そのため、追加で契約をするとは考えにくい状況だった。

その月の目標にまだ達していない中で、アポを取らないと上司に怒られるし、とりあえず提案しておこう、というくらいだった。

しかし、驚いたことにその場で「じゃあこれも追加で入ります!」と言われたのだ。

一瞬喜びそうになったが、待てよ……これ本当に大丈夫? という不安な気持ちになった。

すでに入っている保険と今回提案した保険を合わせると、毎月の保険料はかなりの金額になる。年齢は20台半ば。
そこまでお給料をもらっているとも思えない。

貯蓄型なのであとで戻ってくるとはいえ、毎月そんなに保険料の支払いにまわして大丈夫なのか? そう不安になったのだ。

そのお客さんとは最初の契約をもらったあとも何度か顔を合わせていたので、向こうもなんとなく親しみを持ってくれていた様子だった。

それもあり、そこまで詳しい説明をしていないのに、この人が持ってくるなら、と信用してくれて、二つ返事で入りますと言ってくれたのかもしれない。

その場ではお礼を言って、次回契約書をお持ちしますね、ということで話を終えた。

***

オフィスに戻って、悩んだ。

その月は、別で契約がひとつ決まっていたものの、目標達成には、もう一件契約をとる必要があった。そして今日提案したら、「入ります」と言ってもらえた。

正直、その契約は、喉から手が出るほど欲しかった。

でも、悩んだ。

そもそも「入らないだろう」と思って表面的な説明をさらっとしただけだったので、保険の内容もきちんと理解していない可能性が高い。

どうしよう。契約は欲しい。でもこれを売って、この人のためになるのか?

考えて考えて考えた。そして次の日、一通のメールを送った。

—————
○○さん

お世話になっております。
昨日はお時間いただき、ありがとうございました。

○○さんに現在ご加入いただいている保険と、
追加でご提案させていただいた保険を併せると、合計で月々XXXXX円のお支払いとなります。

こちらが、○○さんにとって毎月保険に使うのに問題がない金額かどうか、
念のため確認したく、ご連絡いたしました。

今回ご提案の年金保険は、掛け捨てではありませんので、
○○さんの資産形成の助けにはなると思います。

ただ、銀行預金等とは異なり、途中で引き出すことはできません。
受け取り可能になるのは、早くても60歳となります。

詳細な資料もメールに添付いたしますので、そちらもご確認の上、
再考いただけますと、幸いです。

プラン内容の調整や詳細説明をご希望であれば、
またお伺いいたしますので、ご連絡くださいませ。

—————

「よくよく考えましたが、やはり加入はやめようと思います。毎月貯蓄にあてている分があるので、そこの一部をあてればいいと考えていましたが、途中で引き出すことはできませんもんね。ご丁寧にご連絡くださり、ありがとうございました。」
と返信がきた。

お断りのご連絡がきた段階で、私の今月の目標未達が確定した。
でも、不思議と清々しい気持ちだった。

この話を先輩にしたら、「何やってんの?」と呆れられた。

「入ってくれるって言ったんだから、売っちゃえばよかったのに! もったいなぁーい」

とからかうように言われ、「営業としては売るべきだったのか……私は甘かったのかな」と落ち込んだ。

お客さんへの提案内容とその結果は、毎日詳細にレポートとして上司に紙で提出し、報告することとなっていた。

上司にも、なんで売らなかったの! と怒られるのかなぁと胃がキリキリするような思いで、レポートを提出した。

翌日、戻ってきた紙には、花マルと「Good!」の文字が書いてあった。

それを見て、なんだか泣きそうになった。

結果だけ見れば、誇れるようなものではない。

でも私は、自分がしたことは、間違いではなかったと思っていた。それを上司がくれた花マルで確信した。

その時から、「お客さんに、誠実に向き合えているか」ということを、自分の中の指針とするようになった。

***

一年目はなかなか契約がもらえなかったが、二年目になって、少しずつ契約が取れるようになってきた。

保険は、結婚などライフスタイルの変化によって加入を検討する時期がやってくる場合があるので、「今は必要ない」と断られても、理由をつけて定期的に顔を出すようにしていた。そうするうちに、機会がきて入ってくれる人が出てきたのだ。

そしてもうひとつ、嬉しいことがあった。

上司がもともと受け持っていた営業先を、引き継ぐことになったのだ。

そこは、上司のそのまた上の上司が、保険会社を辞めたあとに起業した、旅行予約サービスを運営する会社だった。

その会社の新入社員は、会社の福利厚生として、自動的に保険に加入することになっていた。

その加入分は担当職員の成績としてカウントされるので、定期的に自身の成績になる。

さらに、社内にも出入りできるので、追加でほかの人に保険の提案もできるという、かなり恵まれた営業先だったのだ。

そこは、優秀な先輩ばかりが脈々と引き継いできたところだった。
成績だけ見れば、私よりも優秀な人は何人もいたが、上司は私を指名した。

「お世話になった人が作った会社だから、きちんと見てくれる人に引き継いでほしかったのよ」と、上司はそう言ってくれた。

社会人は結果がすべてのシビアな世界だと思っていたが、お客さんに誠実に向き合おうとしてきた姿勢が評価されたのは、素直に嬉しかった。

***

社会人になって、今年で10年目になる。

別の仕事に就いている今も、「誠実であること」は、私の中で大切な価値観のひとつだ。

自分だけが得をしたいと、目先の結果を求める人は、魅力的に映るだろうか。
この人に仕事を任せたいと、思うだろうか。

「仕事は結果が全てだ」というのは、ある意味では正しい。
でも結果は、すぐに出ることもあるが、時間がかかることもある。

まわりと比べたとき、自分はなんて駄目な奴なんだろうと、落ち込むことは今もたくさんある。

それでも、焦らずくさらず、自分のできることをやり、仕事に、相手に、誠実に向きあう。

そんな風に、社会人10年目の今年、そしてこの先も歩んでいけたらと思う。

***

※こちらは、天狼院Webメディアへの寄稿を転載したものです(テーマ自由・日常のエッセイ)
http://tenro-in.com/mediagp/49690

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