「お腹すいた」も「疲れた」も「好き」も、すべては勘違い

「お腹すいた」も「疲れた」も「好き」も、すべては勘違い

小さなころ、食べても食べてもお腹がいっぱいにならないことがあった。

いつものぐーぐー鳴るような空腹とは少し違う気もしていたけれど、お腹が空いているような感覚がずっとある。

なんでだろう? と思いながら、何回もおかわりをした。

普段少食な私がそんなに食べるので、はじめは「今日はいっぱい食べるね、すごいね!」なんて両親は喜んでいた。

ぱくぱく食べ続けるけれど、まだ空腹はおさまらない。

……だんだん気分が悪くなってきた。

青白い顔をしている私の様子を見て母が「どうしたの?」と聞いてきた。

ここらへんが変な感じなの、と伝えると、母が「それ、胃が痛いんじゃないの?」と言ってきた。

「胃が痛い」を初めて経験したので、お腹の中のほうの不思議な違和感を「お腹が空いた」と勘違いしていたのだ。

だって、胃が自分の体のどのあたりにあるかなんて知らなかったし、私が知っていた「痛い」は、擦り傷のように血が流れてひりひりするもので、その痛みとは全然違っていたから。

幼い私はその時初めて、「胃が痛い」を覚えた。

***

みんないつごろ「胃が痛い」を覚えたんだろう。

そもそも、私はどうやって「痛い」を覚えたんだろう?

転ぶ。血が滲む。ひりひりする。

その感覚が「痛い」という言葉にあてはまるのを知ったのは、きっと「痛いの痛いの飛んでいけ」と両親が言ったときだ。

「あぁ、これは痛いということなのか」と、そこで感覚にひもづく言葉があることを学んだのだろう。

感情や感覚は、とても曖昧なものだ。

目に見えないし、触れることもできない。

だから、人に伝えるためには、言葉にする必要がある。

それまでの経験で知っている言葉をあてはめて、みんな自分が感じていることを表現している。

でも、初めて経験したことの場合は、間違った言葉を当てはめて、それだと勘違いしてしまうことがある。

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私の勘違いは、もうひとつある。それは、大人になってからのことだ。

「辛い、苦しい」を、「疲れている」だと勘違いしていた。

私は、人前に立つとか、目立つようなことが得意ではない。

でも少し前まで、そういう役割をする必要がある仕事をしていて、「仕事だから」と、無理に頑張ってしまっていた時期があった。

本当は「辛い、苦しい」とたくさん感じていた。でも、気がつかなかった。

いくら寝ても体が重かったり、夜寝られないほどの頭痛がしたり。

それらをまとめて「疲れているのかな?」と勘違いして、整体に行ったりしていた。

手遅れになる前に気づいたからよかったのだけど、もしずっと気づかないままで毎日仕事をしていたら、朝起きたら体が動かない、というような、いわゆる「うつ状態」になっていたかもしれない。そう思うとぞっとする。

なぜ気づくことができたのかというと、私のグチを聞いて「それって本当に大丈夫? 楽しいって言ってるけど、本当は苦しいんじゃないの?」と、しつこく言ってくれる人がいたから。

その時は朝から晩まで仕事漬けでランナーズハイ状態だったので、「違う! 仕事は楽しいもの。何もわからないのにそんなこと言わないで」と、その言葉に抵抗していた。

でも、その人は昔、心が壊れかけたことがあって、その時の感覚を知っていた。

だから、私の様子を見て、言葉を聞いて、「それは疲れているんじゃなくて、苦しいんだ」というのに気づいたのだ。

***

自分が感じていることに当てはめている言葉が、本当にその感情を正しく表現しているのかどうかは、とても疑わしい。

それが経験したことのないことであればなおさらだ。

自分で自分の感情や感覚を正確に捉えるのは、実はとても難しい。

言葉にあてはめると間違えて、そのつもりで突き進んでしまう可能性があるから、言葉に当てはめない方が正解にたどり着けるんじゃないか、とも思う。

自分のことは自分が一番よくわかっているなんて、そんなことはない。

小さな頃の私は「胃が痛い」を「お腹すいた」だと思っていた。

そして大人になった私は、「苦しい」を「疲れた」だと、勘違いしていた。

同じような勘違いをしている人は、私以外にもいるんじゃないだろうか。

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以前、婚活中の友人が、短期間付き合っては別れ、また別の人と付き合って別れて……というのを繰り返していて、「どういうのが『好き』なのか、わからなくなってきた」と言っていたことがあった。

今になって考えてみると、おそらく職業や年収、容姿など何かしらの基準があって、その条件にあてはまっていて、自分に好意を持ってくれる人に対して、「私もこの人が好き」という言葉を当てはめていたんじゃないか。

そのつもりになって付き合っていただけで、実際は「好き」ではなかったんじゃないかなと思う。

あなたは今、どんな気持ちだろうか。楽しい? それとも悲しい気持ちかもしれない。

恋人はいるのだろうか。その人とは、どうして付き合ったのか。

相手のことを、間違いなく好きだと、心からそう言えるだろうか?

「楽しい」の奥に隠れている「苦しい」や、「悲しい」で見えなくなっている「嬉しい」があるかもしれない。

「好き」という言葉でくるんで、なかったことにしている本音が、どこかにひそんでいるかもしれない。

自分の気持ちがわからなくなったり、楽しいはずなのになんだかおかしいと違和感を感じてしまうことは、今もたまにある。

そんな時は、「感情を表す言葉」をなるべく入れずに、事実や今の状況を並べていくようにしている。そして、自分のことをよく知っていて、自分よりも人生経験が豊富な、信頼できる人に話してみる。

「こうすればいいんじゃない」と思いもよらないことや、そんな感情知らない! というようなことを言われることもあるけれど、意外とそれが真実に近かったりするのだ。

公園で走り回って擦り傷をつくり、ワァワァ泣いていたときよりは、今の自分は色々なことを知っていると思う。

でも、まだまだ未熟で、知らない感情や経験したことがないものも、たくさんある。

あてはめた言葉に少しでも違和感を感じたら、いったん感情から言葉をはがして、そのまま見つめた方が、真実に近くなる。

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※こちらは、天狼院Webメディアへの寄稿を転載したものです(テーマ自由・日常のエッセイ)
http://tenro-in.com/mediagp/48288

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