意識高い系バリキャリ女子が牛丼で目覚め、無職になることを決めた理由

意識高い系バリキャリ女子が牛丼で目覚め、無職になることを決めた理由

その日、牛丼を食べるために喜んで命をすり減らした人が沢山いた。

冷めた目でその様子を見ていたけど、もしかしていまの私も同じことをしているんじゃないかということに気がついて、ここ最近毎日泣いて、悩んで悩んで悩みまくっていたけれど、やっと決心がついた。

「お疲れ様です。お話したいことがありますので、明日お時間いただけますでしょうか」

シンプルな一通のメールをつくり、何度か読み返してから送信ボタンを押した。
その場で声を掛けるのではなくわざわざ事前にメールを送ったのは、決心を鈍らせないためだ。

明日、会社を辞めますと、上司に伝えようと思う。

 

先日、やわらかい銀行、みたいな名前の某携帯キャリア会社が、キャンペーンで牛丼チェーンのクーポンを配った。金曜日にそのクーポンを持っていくと、通常380円の牛丼が無料で食べられるというものだ。

無料の牛丼を食べるために、その日は全国各地のお店にお客さんが殺到。
車の渋滞が発生して警察官が出動したり、一般の人が駅に入れない事態になったりしたそうだ。

「うまい、やすい、はやい」がウリのそのお店の牛丼を食べるために、その日は3時間待ちだったとか。

真冬の時期に無料の牛丼を求めて行列に並ぶ人をニュースで見て、この人たちは何を求めているんだろう? と不思議で仕方なかった。

無料の牛丼をゲットするというイベント感に異常に興奮する! という人にとっては、その3時間は価値あるものだろうから、それは別として、単純に「無料で牛丼食べられるなんてお得じゃん」と思ってるなら、それは本当に得なのかどうか考えた方がいいんじゃないか。

何となく「お金」というものはとても価値あるものというイメージがあって、価値があるものは手元に残しておきたいから、無料で手に入れられるとすごく得をした気分になる。

でも、自分の人生の残り時間は有限で、ゼロになったときに死ぬわけだから、時間=命だ。つまり、3時間並んで無料の牛丼をゲットした人たちは、それと引き換えに3時間分の命を失ったことになる。

待つのが大嫌いな私にとっては、牛丼よりも時間の方が価値が高く思えるから、それって本当にお得? と疑問に思う。
限りある時間を何に使うか考えるべきじゃない? もっと優先してやりたいことがあるんじゃない? 一番やりたいことに一番多くの時間を配分するべきだよねやっぱ。だって1度きりの人生だし!

と、牛丼から始まり人生とはかく生きるべしというところに考えが及んだあたりで、でも待てよ……私も同じことをしてないか? とふと思った。

 

私は昨年、体調をくずして1ヶ月ほど休職したのち、別の部署に異動して復帰した。

うちの会社は、部署によって仕事内容がかなり違っていて(別の会社に転職した、くらいのレベル)、新しい部署の仕事は、残念ながらあまり興味のない分野だった。

決められた8時間は会社にいて、決められたぶんの仕事をする。その対価として、お金をもらう。

ただ、それだけ。

一日8時間寝るとして、通勤など移動の時間や食事の時間など、色々差し引いていったら、24時間のうち自由に使えるほとんどの時間を仕事に使っている。

養う必要のある人もいないし、ありがたいことに両親も健康だ。家業を継がねば的なしばりもないので、好きなことを好きなようにすることに対して制限するものは何もない。

それなのに、面白いと思えないことに、自由に使えるほとんどの時間を費やす今の環境を自ら選んでいる。

何故こんなことをしているのか。

一つには「好きなもの」がわからなくなっていたから。

社会人になってからは「他人様から見て立派に見えるキャリアを築く」ということを第一目的として生活していた。

自分が何がやりたいのかなんて、わからなかった。
だから、目の前の仕事に没頭した。
そして気づかぬうちに、好きなことよりも、やるべきことに優先して時間をさくようになっていた。

意識高い系ぶってた時によく行っていたビジネス交流会で、「趣味は何ですか?」と聞かれるとすごく困った。だって仕事しかしてなかったから。

もう一つは、お金に対する不安。
会社員は毎月決まった日にお給料が振り込まれる。その安心感に慣れてしまうと、捨てるのは惜しいと思ってしまう。

そんなこんなで会社員を10年近くやっていた中、昨年末に体調を崩して休職。
死に直面するような大病を患った訳ではないので大げさかもしれないけど、健康に生活できる時間は案外少ないのかもしれないと感じた。

休職中に、私はこの体と時間をこれから何に使っていきたいのか……なんてことを考えていたこともあり、楽しくないと思っているものに対して、時間という命に等しい価値をどんどんすり減らしているこの行為は、ゆるやかに自殺しているようなものなんじゃないか? このままずっとこの仕事を続けていていいのか? と考えるようになった。

ゲーマーにとってのゲーム、数学者にとっての数式のような。
時間を忘れて没頭してしまうような、面白くて仕方ないと思えるものに、一番沢山の時間を使いたい。

先ほど好きなものがわからなくなっていたと書いたが、忘れていただけで、実は自分の中に既にあったし、既にやっていた。

私にとってのそれは、書くことだった。
手帳、日記、ブログ、作文、論文。手書きでもパソコンでも、誰かの目に触れる触れない関係なく、昔から「書く」という行為が、ただただ好きだった。

仕事で文章を書く機会に恵まれた時、楽しくて会社でも家でもずっと書いていた。はたからみたら、家に仕事を持ち帰って夜通しパソコンに向かっている、ただそれだけのことなんだけど、私にとっては楽しくて幸せな時間だった。

一番好きなことに、一番多くの時間を使いたい。このシンプルな望みを叶える方法は何か。

やりたいことを仕事にできるレベルまで持っていけばいい。

一朝一夕でレベルは上がらないから、時間をかけて技術をみがく必要がある。そのためには、優先順位が低く、かつ一番時間をくっているやりたくないことを取り除く必要がある。

ということで、社会人10年目になる今年、会社を辞めることにした。

やりたいことがある今、さほどやりたくないと思っている今の仕事に、時間を使う価値を見出せない。

……なんて、意識高めにこんなことを書いている今も、決められたレールを外れたことがないので、会社員という肩書を失うことが怖くてたまらない。その一方で、ワクワクしている自分もいる。

いい歳して会社辞めてどうするの? と言う人もいると思う。後悔することも、迷うこともあると思う。

でも、これから先の人生の中で、今が一番若い。また迷ったら、その時考えて、ワクワクする方を選べばいい。

お金が無くなったら牛丼でも食べよう。無料クーポンをもらったとしても行列には並ばずに、380円払って10分で店を出る。

そうして手に入れた時間で、パソコンに向かい文章を書くのは、きっと至福のときだ。

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